一原有徳

 

NHK 日曜美術館で一原有徳という版画家が紹介された。世界的には注目されているというもののその評価はまだまだ低く、一部のマニアを除き日本国内ではほとんど認知されてこなかったといっても過言でない。

一原有徳といえば北海道というイメージがあるが生まれは徳島県である。幼児期に両親に連れられ羊蹄山の麓、真狩村に入植した一原家は、電気もない掘立小屋に住み、蕎麦や馬鈴薯を栽培し細々と生計を立てていた。父、周二は農業の傍ら毛皮の行商をしていたが1923年小樽に移住後は、労務者として働く一方で花火師として副業もしていたというから、決して裕福な家庭環境ではなかったといえる。

そんな中、有徳は小学校卒業後、北海道通信社に就職。働きながら夜学の小樽市高等実修商業高校にも通い、その実直な勤務成績から逓信省小樽郵便局に採用された。1944年6月、35歳の時に招集され札幌月寒や日高沿岸で兵役する。その後、広島の船舶司令部、暗号教育隊に転属したが暗号情報の中に小樽が8月17日に原爆投下されるというのを目にして戦慄したという。

兵役による中断があったものの1970年までの43年間小樽貯金支局で勤務した有徳は、昇進、転勤等の話を固辞し定年まで働きつづけた。卒寿記念として戦前戦後の波乱の人生を描いた自伝「一原有徳物語」が刊行されているので興味のある方は読んでもらいたい。波乱万丈の人生を歩んだ一原有徳の生涯を、NHKで是非ドラマ化してもらいたいものである。 さて日曜美術館では、作画という意図を持たない抽象作品ばかりが紹介されていたが、実はこれと並行して全作品のおおよそ1割以下と思われる「山」をテーマとしたシリーズを制作しており、ここに意図的具象作品が存在しているという事実を伝えたいと思う。

有徳と山のかかわりは、職場の仲間とともに山岳部を作り、近郊の登山やスキーを始めたことがきっかけであり、1931年頃からARCG(赤岩ロッククライミンググループ)を組織すると、それまで北大山岳部がルート開拓していたものの系統的に岩場が紹介されることは無かった赤岩山を紹介した。1960年「北海道の山」を出版。その他「支笏湖の山」、「道外の山」等を刊行した。自分たちが登った山の経験をもとに書いた内容が評価され、これを機に北海道での登山が盛んになったといわれている。

有徳にとって山岳シリーズは趣味的な世界であったかも知れないが、抽象画家といわれる有徳の別の一面を垣間見ることができる貴重な作品群である。版画といっても1点ものでありその制作数は極めて少ない。画面からは山に対する作家の想い、愛情が伸びやかで生き生きと伝わってくる。 しかし、なぜかこれら山岳版画作品は有徳の作品集に掲載されていないのである。有徳の山岳作品は愛好家のなかで定評があり、過去の個展で真っ先に売れるのは、本来の抽象作品ではなくこの山岳シリーズである。

山岳シリーズが公開されてこなかった原因として、作品の絶対数が少ないこと、個展で購入した人が手放さないことによるものではないかと推察され、いわば幻の作品といえると思います。

今回ご紹介する作品はそんなわずかに制作された幻の山岳シリーズ及び、抽象版画作品であり今後手に入れることが難しくなるものと思います。

<引用文献:山書趣味「特集:一原有徳の世界」より>

2016年09月01日